お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
埋もれ百体地蔵=旧いまちのよさは、時空を越える想像を掻き立てること ― 2007/10/26
まちというのは、モノをつくりだすことによって栄えると思います。消費するだけのまちは考えられません。なにかを生み出そうという刺激に満ちたまちが、素敵なまちだと思います。それは、企業であってもいいし、学術機関であってもいいし、芸術集団であってもいいのです。
大都市中心にいろんなものが集積されていきますが、全国均一的になっていて、便利だけど、変わり映えがしないと感じます。
地方都市は、だいたいのところが人口減に悩んでいます。
資金も人口も集中する都市圏に抗して、どう魅力をつくっていくかが問われるときなのです。
私は、大型複合施設がどんどん進出するのを見て、資金だけではどうにもならない魅力が、旧いまちにあるはずだ、それを生かさない限り、またそれに自信をもたない限り、生き残りはないと感じました。
儲からなければ撤退というのが、SCなどの基本戦略。逆に、まちのお店は、自らが住民ですから、撤退することなど考えられません。まちとともに生き、まちとともに暮らしていく、そういう町衆がいま生計の生命線が絶たれる危機にあります。
●新しい政治の流れ
地方自治は、中央政府にがんじがらめにされています。それでも、地方から流れが変わりつつあります。滋賀県は、もしかしたら最先端。10月には、二つの最高裁判決があり、ともに、住民側が勝訴しました。ひとつは、永源寺第二ダム、もうひとつは、新幹線栗東新駅起債問題。
いったん走り出したら止められないのが大型公共事業の常識でしたが、この二つの判決は、これを覆した画期的意義がありました。
こういう力があるのです。それを、まちづくりに生かせないかと思うのです。
●埋もれ百体地蔵
話がどんどん広がりますが、発端は小さな二つの立て札なのです。
一つ目が上の写真の「埋れ百体地蔵」
自分の住んでいるところから、少し散歩すれば、この立て札があります。全然読んだこともなかったのですが、文字を見て、時空をこえた空想を書き立てられました。
比叡山焼き討ち事件が目の前に蘇えり、その受難をつたえる石仏が手で触れることができるのですから。
こういうのは、旧いまちならではの魅力ではないでしょうか。
これが、魅力のすべてではありません。
でも、同じ大地の上に、戦乱の時代の人々の姿がフラッシュバックのように蘇えったら、すてきじゃないでしょうか?
大都市中心にいろんなものが集積されていきますが、全国均一的になっていて、便利だけど、変わり映えがしないと感じます。
地方都市は、だいたいのところが人口減に悩んでいます。
資金も人口も集中する都市圏に抗して、どう魅力をつくっていくかが問われるときなのです。
私は、大型複合施設がどんどん進出するのを見て、資金だけではどうにもならない魅力が、旧いまちにあるはずだ、それを生かさない限り、またそれに自信をもたない限り、生き残りはないと感じました。
儲からなければ撤退というのが、SCなどの基本戦略。逆に、まちのお店は、自らが住民ですから、撤退することなど考えられません。まちとともに生き、まちとともに暮らしていく、そういう町衆がいま生計の生命線が絶たれる危機にあります。
●新しい政治の流れ
地方自治は、中央政府にがんじがらめにされています。それでも、地方から流れが変わりつつあります。滋賀県は、もしかしたら最先端。10月には、二つの最高裁判決があり、ともに、住民側が勝訴しました。ひとつは、永源寺第二ダム、もうひとつは、新幹線栗東新駅起債問題。
いったん走り出したら止められないのが大型公共事業の常識でしたが、この二つの判決は、これを覆した画期的意義がありました。
こういう力があるのです。それを、まちづくりに生かせないかと思うのです。
●埋もれ百体地蔵
話がどんどん広がりますが、発端は小さな二つの立て札なのです。
一つ目が上の写真の「埋れ百体地蔵」
自分の住んでいるところから、少し散歩すれば、この立て札があります。全然読んだこともなかったのですが、文字を見て、時空をこえた空想を書き立てられました。
比叡山焼き討ち事件が目の前に蘇えり、その受難をつたえる石仏が手で触れることができるのですから。
こういうのは、旧いまちならではの魅力ではないでしょうか。
これが、魅力のすべてではありません。
でも、同じ大地の上に、戦乱の時代の人々の姿がフラッシュバックのように蘇えったら、すてきじゃないでしょうか?
埋れ百体地蔵 ― 2007/10/26
なにげなく読んだ石碑に目が点! ― 2007/10/26
『謡曲「関寺小町」と牛塔』の看板は味わいがある ― 2007/10/26
巨大キノコのような「牛塔」 ― 2007/10/26
「シラン」でしょうか? ― 2007/10/26
ヒメツルソバ(姫蔓蕎麦) ― 2007/10/26
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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