お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

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ルドンの黒 武満徹「彩の記」2007/09/03

 azamikoさんのブログで「ルドンの黒」展が東京のBunkamuraで行われていたのを知りました。7月28日から8月26日まで。
http://d.hatena.ne.jp/azamiko/20070829
 展示されていたのは、ルドンの版画とデッサン。
 ネットで見る限り、マックロクロスケや目玉の親父風のグロテスクでユーモラスな生き物が描かれています。
 それらは、岐阜県美術館のコレクション。
 岐阜なら、まだ近くですので、見に行くことができます。
 
 ついでに、Bunkamuraのザ・ミュージアムの今後のラインナップを調べていると、来年夏にモスクワ市近代美術館(1999年創立!!)所蔵のロシア・アヴァンギャルドたちの作品展(シャガールからマレーヴィチまでという仮称で)が行われる予定です。
 この美術館のコレクションの展示は、日本初とのことです。
 これは、見たいと思いました。
 商品なら、いまやどこに住んでいても、簡単に手に入ります。しかし、こういう催しについては、地方都市と中央の格差はどうにもなりません。

 ところで、武満徹さんが、ルドンの黒について書いています。

 1985年に出版された『音楽を呼びさますもの』(新潮社)という著作(上の写真)のなかの「彩(いろどり)の記」です。

 『ルドンの木炭や石版による作品を観ると、暗い陰鬱なヴィジョンと謂うより、昼の陽光を充分に吸い尽くした後の大地の温もりのような、官能的な感触を、反ってその深い黒の世界に感じる。すべての夢がそこでは呼び醒まされ、育まれているように思える。そこから、「予感」のような永遠の信号が送られ続けているのを感じる』

 ぜひ、こういう黒に出会ってみたいと思いました。

コメント

_ あざみ子 ― 2007年09月04日 08時32分37秒

『音楽を呼びさますもの』(新潮社)ご紹介ありがとうございます。
後半部分、
《すべての夢がそこでは呼び醒まされ、育まれているように思える。そこから、「予感」のような永遠の信号が送られ続けているのを感じる》
とても共感します。

それは、彼が両親と離れた孤独な幼少時代を過ごしたこととも無関係ではなく、絵の違いはありますが、竹中英太郎の幻想性にもみられる、夢や想像の世界に、幼いころから親しみ、そのなかにこそ永遠の信号を感じとっていたからではないかと思いました。

>こういう催しについては、地方都市と中央の格差はどうにもなりません。

地方からの発信、意欲的な展覧会や音楽祭も多くなったとはいっても、格差は大きすぎますね。
地方財政の逼迫から、美術館が独立採算を余儀なくされ、危機に陥っているということも聞きます。

東京にいると集まりすぎていて、選択せざるおえないということになって、渇望がなくなるというのもいいことと思えなくて・・・。

モスクワ市近代美術館(1999年創立!!)って、新しい美術館なのですね。
ロシア・アヴァンギャルドたちの作品展(シャガールからマレーヴィチまでという仮称で)、私も期待しています!

_ BIN★ ― 2007年09月04日 08時51分14秒

 文化には、お金がかかりますから、自然の流れでは、お金の集まるところに集中してしまいます。でも、そう単純ではないところが興味ぶかいところかも知れません。
 渇望がなくなると、文化は洗練され爛熟しますが、力と新鮮さが失われます。
 最近、ヴェネズエラの若い指揮者DUDAMELが注目されていますが、それは、こういう問題にかかわっていると思いました。
 モスクワの新しい美術館ですが、ソ連崩壊後でなければ、ロシア・アヴァンギャルドがその祖国で日の目をみなかったということでしょうね。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)