お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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「ふたたび」大津陸軍墓地へ 今度は車で2007/09/06

前にも書きましたが、中学生の頃、偶然、この陸軍墓地を「発見」しました。
 「発見」というのは、だれからもこの墓地のことを聞いていなかったからです。皇子が丘公園を走り回っていたときに、この場所に出て衝撃を受けました。その衝撃をひとことで言うのは難しいのですが、いきなり厳粛な場所に出たということ、墓標の数の多さ、そして、これだけのものが秘密のように存在していて、それを自分が見てしまったという怖れ・・・そんなものです。
 何度も書くのはくどいですね。
 この陸軍墓地に変化が生まれたのは、湖西バイパス工事によってです。
 墓地を道路が横断することになったからです。
 いままでひそやかに存在していた墓地の真横を車専用道路が横断するのですから、墓地の雰囲気もあったものではありません。
 先日、バイクで行ったときは、地図を見ながら、「え?こんなところに?」と思ったほどです。
 つまり、いつも行きなれているバイパスの降り口付近でした。
 バイクですから、高架となっているバイパスの下をくぐる細い道路も平気でわたることができました。でも、車は???
 墓地の山手にガードレールと家が見えていましたが、それがどこか見当がつきませんでした。
 
 歴史博物館から唐崎へ向かい、そこで用事を済ませたあと、陸軍墓地に向かいました。車にはナビゲーターがついています。そうだ、その地図で見ればいいんだと(なにをいまさら)気がついて、見てみると、ちゃんと出てきます。そこに目的地を決めてスタート。皇子が丘公園に接近すること、階段で登れない道を指示していることに気がつきました。
 「おいおい」といいながら、地図を眺めていると、千石台というバイパスの山手の団地から道がありそうに思えました。
 じゃあ、と車を再発進。
 バイパスを見下ろす位置にある千石台の下手につくと、真下に陸軍墓地が見えました。
 大津(しかも旧大津)に生まれたのに、なさけないといえばそれまでです。
 ・・・でも、なんか”故郷再発見”みたいで面白い。
 こんなわけで、無事到着しました。
 陸軍墓地は、今日も人っ子ひとりいるわけではありません。
 それでも、きれいに掃除されて、新しい花が供えられています。
 上手から墓地に向かうのが正規のルートなのでしょうか?
 上の写真のような案内がありました。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)