お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
9.29沖縄県民大会に ― 2007/09/24
あと数日で、沖縄で95年以来の県民大会が開かれます。
その成功のために、いろんな方が努力されているときいています。
95年にも県民大会が行われました。
その発端は、米兵による少女暴行事件でした。
その大会には、行けませんでしたが、直後に
沖縄の現実を知るために、かけつけることはできました。
今回は、日本政府が沖縄県民を辱めたことに端を発しています。
日本で唯一地上戦の舞台となった沖縄。
国民を守るはずの軍隊によって、集団自決に追いやられた
無念の歴史がそこにはあります。
戦後60年をすぎて、この生々しい事実がゆがめられました。
文部科学省が2006年度の検定で、
「軍が命令した証拠はない」として書き換えさせたのです。
沖縄には生き証人が多数生存。
それを承知しながら、この露骨な歴史の書き換えは、
過去の軍隊の犯罪を免罪し、被害者を二度に辱めるものです。
過去の事実をまげて、政府は、なにをしようというのか。
軍の復権と戦争をふたたび始めるためではないでしょうか。
じゅごんの海を米軍に提供したり、長大な国境線をもつ国を守ることもできず、したがって国民を守るどころではない高額のペトオット3を(米軍基地や皇居、国会、原発などは守れるにしても)導入させたり、米軍との海外での共同行動をすすめたりしているのは、自民党政府です。
イラクへは名目はともかく海外派兵さえ現実化させました。
さらに、防衛庁は防衛省への昇格を強行しました。
軍は、いまや影の存在から、表の主役へ躍り出ようとしています。
国民監視隊の存在は、国民生活をしばる恐ろしい狙いを
わが国の軍隊(自衛隊)が持っていることをはっきり教えています。
その流れのなかでの「集団自決」問題。
軍はやっていないと強弁しようというのです。
私が95年に沖縄を訪ねたとき、
長年にわたる沖縄の現実へ無関心を
とても、恥ずかしく思いました。
現地でそれを口にしましたが、
責める方にはお目にかかりませんでした。
それは私に強い印象を残しました。
同時に、日本のマスコミの沖縄問題の扱いに不信をもちました。
基地は沖縄だけの問題ではないし、軍隊による自国民への
残虐行為は、沖縄だけの問題ではありません。
これは沖縄県民の名誉と真実を守るたたかいであると同時に、
私たちの国の未来を守るたたかいでもあると思うのです。
いろんな思いを込めて、9・29県民大会の成功を祈ります。
今年は行けそうにありませんが、来年は沖縄に行きます。
その成功のために、いろんな方が努力されているときいています。
95年にも県民大会が行われました。
その発端は、米兵による少女暴行事件でした。
その大会には、行けませんでしたが、直後に
沖縄の現実を知るために、かけつけることはできました。
今回は、日本政府が沖縄県民を辱めたことに端を発しています。
日本で唯一地上戦の舞台となった沖縄。
国民を守るはずの軍隊によって、集団自決に追いやられた
無念の歴史がそこにはあります。
戦後60年をすぎて、この生々しい事実がゆがめられました。
文部科学省が2006年度の検定で、
「軍が命令した証拠はない」として書き換えさせたのです。
沖縄には生き証人が多数生存。
それを承知しながら、この露骨な歴史の書き換えは、
過去の軍隊の犯罪を免罪し、被害者を二度に辱めるものです。
過去の事実をまげて、政府は、なにをしようというのか。
軍の復権と戦争をふたたび始めるためではないでしょうか。
じゅごんの海を米軍に提供したり、長大な国境線をもつ国を守ることもできず、したがって国民を守るどころではない高額のペトオット3を(米軍基地や皇居、国会、原発などは守れるにしても)導入させたり、米軍との海外での共同行動をすすめたりしているのは、自民党政府です。
イラクへは名目はともかく海外派兵さえ現実化させました。
さらに、防衛庁は防衛省への昇格を強行しました。
軍は、いまや影の存在から、表の主役へ躍り出ようとしています。
国民監視隊の存在は、国民生活をしばる恐ろしい狙いを
わが国の軍隊(自衛隊)が持っていることをはっきり教えています。
その流れのなかでの「集団自決」問題。
軍はやっていないと強弁しようというのです。
私が95年に沖縄を訪ねたとき、
長年にわたる沖縄の現実へ無関心を
とても、恥ずかしく思いました。
現地でそれを口にしましたが、
責める方にはお目にかかりませんでした。
それは私に強い印象を残しました。
同時に、日本のマスコミの沖縄問題の扱いに不信をもちました。
基地は沖縄だけの問題ではないし、軍隊による自国民への
残虐行為は、沖縄だけの問題ではありません。
これは沖縄県民の名誉と真実を守るたたかいであると同時に、
私たちの国の未来を守るたたかいでもあると思うのです。
いろんな思いを込めて、9・29県民大会の成功を祈ります。
今年は行けそうにありませんが、来年は沖縄に行きます。
コメント
_ ばるタン ― 2007年09月25日 00時08分58秒
_ BIN★ ― 2007年09月25日 01時35分47秒
たくさん集まるといいですね。
いろんな立場を超えてという点がいまとても大切なんですね。沖縄の運動に共感し、痛みと怒りを共有できる日本でありたいですね。
いろんな立場を超えてという点がいまとても大切なんですね。沖縄の運動に共感し、痛みと怒りを共有できる日本でありたいですね。
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
やはり、体験者の証言の数々が力になったと思います。
命令を下した人を責める体験者はいません。
戦争に向かわせる教育の恐ろしさを皆さんが語っておられるんです。
ほんとうに、大勢集まるといいなあ・・・。