お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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日清戦争で戦死した下士官・准士官の墓地=Bブロック2007/09/29

日清戦争にむかう船中で没したことを刻む第九連隊准士官の墓碑
旧大津陸軍墓地のBブロックの墓碑で階級は読み取ることができました。
では、結局、このBブロックは、どういう集合だったのでしょうか?

墓碑銘の横には、死亡年月日が刻まれています。
軍曹の場合、名前以外に刻まれているのは、死亡年月日とその場所だけです。

ざっと見ていくと、 

①明治28(1895)年 4月27日 於 沈家屯(?)歿
②明治28(1895)年 4月25日 於 柳樹屯歿

③明治28(1895)年 9月18日 於 ?子? 歿
④明治28(1895)年 4月28日 於 ?家屯 歿
⑤明治28(1895)年 4月26日 於 劉家屯 歿
⑥明治28(1895)年 4月11日 於征清従軍航海船中歿(特務曹長)

⑦明治28(1895)年 7月13日 於 海城 歿
⑧明治28(1895)年 9月 5日 於 海城 歿  
⑨明治28(1895)年 7月17日 於 小河沿 歿 
⑩明治28(1895)年10月16日 於 海城 歿

⑪明治29(1896)年 3月25日 於 台湾 歿
⑫明治28(1895)年 9月16日 於 海城 歿
⑬明治28(1895)年 9月15日 於 海城 歿
⑭明治28(1895)年 7月 2日 於 小河沿 歿

⑮大正11(1922)年11月13日 歿(特務曹長)

●日清戦争の戦死者

 最後の方だけが異質ですが、それ以外の下士官・准士官は、ほぼ同時期に亡くなっています。
 学校で習う日清戦争は、明治27(1894)年7月25日に始まり、翌明治28(1895)年4月15日の下関条約締結で終わるとなっています。しかし、戦闘はそれ以前から始まっており、さらに続いていたのです。
 大本営や参謀本部は、日清戦争の期間を、台湾征服戦争(1895年5月10日から11月30日)を含むものとして定義しています(『日本近代史:日清・日露戦争』原田敬一 岩波新書86㌻)。

●第九連隊は狭義の日清戦争には実戦参加せず

 大津の第九連隊に動員令がおろされたのは、明治27(1894)年11月26日。開戦から4ヵ月後のことです。準備は整えられましたが、出征命令はさらに遅く、翌明治28(1895)年3月24日。第四師団に属している第九連隊が広島に集結し、大連に向かいます。
 上陸は4月17日。下関条約が締結されてから2日後のことです。

 上の写真を見ていただければ(文言は⑥)、この最初の航海のなかで、この方が亡くなっていることがわかります。

 したがって、教科書にある狭義の日清戦争には、実戦参加していないのです。

●台湾征服戦争への参加

 第九連隊は、1895年4月から遼東半島に駐屯。12月に日本に帰国。
 しかし、帰国するとすぐに台湾征服戦争に駆り出されます。
 明治29(1896)年1月14日に、混成旅団の一員として第九連隊二個大隊が編成され、1月13日に台湾に上陸します。
 これがはじめての本格的な外地での戦闘となります。
 同年6月、新たに編成された部隊と交代して、帰国する・・・これが日清戦争とのかかわりです。

 上の下士官・准士官の戦死は、これらの事件のなかで起こったことです。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)